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その人の残すヴェネツィア

CoM0 TrB0

この旅行は3月29日に終わった。
春休みは3月31日に終わった。
大学生活はあと二年で終わる。
わたしの人生は、今は分からないいつか、終わる。
わたしの好きな人の人生も、今は分からないいつか、終わる。
これまで出会ってきた人々の人生は、いずれ行き先がわかれていって、
最後はきっと、
わたしの知らないところで終わってゆく。

わたしと一回り以上も年齢の違うその人は、
人間の摂理が順当に働くならば、
わたしより先に死ぬことになるのだろう。
そして、わたしは好きな人が死ぬその日にも、
なにも知らずに朝目覚めて、なにも知らずに夜眠ることになるだろう。
それが、わたしの限界だからだ。


 



そんな、諦めきれないのに諦めなくちゃいけない事実を考えるとき、
残ってほしいと思うものと、消えてなくなればいいと思うものがある。

角ばっているのにやさしい癖字、使い古されたオレンジ色の教科書、
眠たいのを我慢するときの仕草、ぴんと伸ばされたスーツの背中、
そういうものを、どれか一つでいいから、私のために残していってほしいと思う。
無理だということを誰より知っているつもりだけれど、願わずにはいられない。

反対に、消えてなくなればいいと思うもの。
例えばヴェネツィアの町がその一つだ。

ヴェネツィア共和国と言えば、おそらくは世界史に頻繁に登場する名前だろう。
現在でこそイタリア共和国の一都市だけれど、かつては「アドリア海の女王」と
呼ばれて栄華を極めた海運立国。
14、5世紀のヴェネツィアの経済力は、ヨーロッパに林立した巨大国家の
総資産すらを
軽く凌駕していた。
「ヴェネツィア貴族の女性たちはフランス王妃よりも贅沢な生涯を送る。」
そんな冗談が、冗談ではなく罷り通っていたのである。
海上のラグーナ(潟)に築かれ、農業的な基盤を一切持たない小国の栄光は、
地中海を越えた異文化・異教徒の国・トルコ帝国の海域にも及んでいた。

その海運業は、ヴェネツィア人の宗教的寛容の姿勢に支えられていた
ヴェネツィア経済が安定期を迎えて久しかった16世紀。
共和国のはるか後方に控えていた神聖ローマ帝国・法王庁(ヴァチカン)は、
ドイツで勃興していたプロテスタントを拒絶し、カトリックを唯一の正教としていた。
この当時、いまだ神聖ローマ帝国の下に降っていなかったヴェネツィアは、
法王庁の容認
するところの正教・カトリック信徒による国家でありながら、
イスラム諸国との交易を盛んに行っていた。
彼らヴェネツィア国民は、ボトムアップの共和制のもとに寛容かつ冷静な姿勢を
育み、
貿易国家である自国の繁栄のために、イスラム教徒との巨額の交易を
「商業的な付き合い」として
是認していたのだそうだ。

トルコ帝国やカルロス率いるスペイン、神聖ローマ帝国など、広大な領土国家の
台頭する
時代に、地図上では小指の爪ほどにも満たない小国がその存在の色を
放ちえたのは、
とにもかくにもヴェネツィアが「平和」を最高の交易手段と考えた
ためと言えるだろう。

うわぁ、なんだか難しい。世界史を少し齧っただけの人間が言うこっちゃないな。
ともあれ、これがヴェネツィアという町を形作る歴史の一端。
そんなわけでヴェネツィア。英語名はヴェニス。
ヴェネト州の州都であるヴェネツィアは、海上のラグーナからなる百余の島を
総称する呼び名でもある。
「アドリア海の女王」「イタリアの至宝」「水の都」…。
あまたの呼び名はあるけれど、
要は美しいの一言に尽きる町。

ユーロスターでミラノからヴェネツィアへ来たよこやまさんは、アドリア海の少し
手前に位置する
メストレ駅で下車してヴェネツィアへ入る。
駅からは、市バスやヴァポレット(Vaporetto)と呼ばれる水上乗り合いバスが
出ている。
うじゃうじゃと屯した日本人団体客にくっついていれば、迷うこともまずない。
あ、そんな日本人のおばちゃんたちについていくと、もれなく飴ちゃんがもらえる。
おばちゃんたちにとって、異国の地で出会った日本人女子大生は、まさに恰好の
飴ちゃん
プレゼントのターゲット!
イタリアに来てさえも、彼女らのポケットには夢とキャンディが詰まっているのだ!
しかもよこやまさんが貰ったのは黒飴!
さすがに濃ゆい!
ヴェネツィアで大阪臭は遠慮したいという人は、ユーロシティやユーロスターに
乗らないで
、そのまま本島のサンタ・ルチア駅に乗り入れできるローカル線を
使いまょう。

よこやまさんは、ヴァポレット5番線でヴェネツィアを目指すことにした。
乗り合わせた日本人のおばちゃんは、やっぱり飴ちゃんをくれる。
もういいよ、もう疲れたよ…と思ったら、今度はブドウ糖トローチをくれた。
さすが大阪!常人の斜め下を行く思考!ミラクル!グッジョブ!空気嫁!
 
ヴァポレットは揺れる。
荒い運転にもとより耐性のあるヴェネツィア市民はともかく、一介の観光客、
しかも準備もなく
日本からのこのこ出てきたよこやまさんには、激しい揺れが
大いに堪えた。
座席なんぞに座っている余裕もない狭い船上で、出港早々酔う。

よこやま「うぅヴぇぁぁぁ、きもちわるぅぅぅ」
おばさん「吐くなんやったらな、おばちゃんがビニール袋あげるわな!」
よこやま「うぅヴぇぁぁぁ、それはドうモぉぉ…」

とか言っていたくせに、結局おばちゃんの方がリアルに酔ってしまう。
おばちゃんは、中心部に着くより前に
ヴァポレットの甲板を降りていった。
船は、その後も中心地へとすすむ。

甲板すみの欄干にもたれてぐったりしてるうち、外洋の波間にヴェネツィアの
全容が広り始める。ラグーナを彩るのは、ヴェネツィアがヴェネツィアたる由縁
とも言える、贅の限りを尽くした建造物群だ。
豪奢なそれらが海上に聳えるさまは、船酔いもさめるような威容を持っている。

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海側から際立って目立つのは、サンマルコ広場(Piazza San Marco)の
時計塔、カンパニーレ。
ヴァポレットの埠頭から見上げるのは、ヴェネツィアの象徴の一つと
言える、
サンタ・
マリア・デッラ・サルーテ教会(Santa Maria della Salute)。
八角形を描く白い大理石のクーポラが、運河の水と太陽とで白銀に映える。
ヴェネツィアン・バロック建築の傑作だ。
聖母マリアに捧げられた教会は、アドリア海の上で何よりも白く美しい。

スキアヴォーニ海岸でヴァポレットを降り、ハァハァ言いながらヴェネツィア上陸。
ホテルも島内に取ってるので、一日ハァハァ言う予定。
因みに、島内の宿は基本的にどこも高い。
かつてのヴェネツィア貴族廷を開放して営業する某七ツ星ホテルは、並み居る
ハイクラスホテルの草分けとは言え、世界の同クラスから見ても割高になるそう。
よこやまさんは四ツ星にしか手が出なかったけど、それにしたって割高ですた。
それでも、ヴェネツィア観光の終わりを島内のホテルで迎えることは、
よこやまさん的には、何にも増して絶対に譲れない条件だった。
理由はくだらない。馬鹿馬鹿しいロマンチシズムにある。


上陸のあとは、早速ヴェネツィアの中心であるサン・マルコ広場と、その名前の
由来であるサン・マルコ寺院(Basilica di SanMarco)
を目指す。


その途中にある、見落としそうなほどささやかな小運河に、かの有名な溜息橋
(Ponte dei Sospiri)
がかかっている。
この溜息橋は、共和国総督府の置かれたドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)の
地下にある牢へと繋がっている。ドゥカーレ宮殿は、ヴェネツィアン・ゴシックの
代表的遺構。尖塔のアーチが連なるデザインの回廊が海から映える。

海抜の低いヴェネツィアでは、満潮時になるとこの地下牢が水没する。
この橋を渡って地下牢に入れば、もう
シャバには戻れないのである。
その儚さを歎いて、罪人が溜息を吐く。
ので、溜息橋。


因みに、ドゥカーレ宮殿の内部を見学すると、この溜息橋を渡ることもできる。
宮殿の会議場は、ティントレット
とかティツィアーノといった、あほほど有名な
ヴェネツィア派の画家たちの絵が、ボコボコと飾られている。もう死んでもいい。
20070429035453.jpg
これがパラッツオ・デュカーレ。
そういえば、脱獄不可能というパラッツォドゥカーレの地下牢から逃げおおせた
19世紀のプレイボーイ・カサノヴァの話は、
何でか知らんが有名だ。


脱獄したカサノヴァは、高飛びの前にサンマルコ広場にある世界最古のカフェ、
フローリアン(Caffe Florian)で
エスプレッソを飲んだとか。
このこじんまりとしたカフェ、カサノヴァのみならず、政庁要人たちの極秘会議
にも用いられたという話。
1720年創業で、今も尚18世紀初頭の内装をそのままに残す店内。
屋内のサロンは、流れ去ろうとする時間をとめようとしているみたいだった。
尤も、人々のちぐはぐな肌と髪の色が、
21世紀という時代を頑なに主張している。

よこやまさんもエスプレッソを呑んでみたけど、くそ
苦い。
そしてここは値段も高い。
エスプレッソは、一口二口で飲み終わるようなデミタスカップに、とびきり濃く
淹れたコーヒーの
ことを指す。ほんの少ししか入っていないはずなのに、カップの
底はコーヒーの深い色で、全く
見通せない。かわりに、自分の顔が写っていた。
カサノヴァは、二度と戻れないだろうことを悟りながら呑んだろう。苦い。

サン・マルコ寺院内部は写真撮影ができない。
特に、よこやまさんが訪れたのはミサの日。
観光客に規制がかかるため、外観すらうまく写真に納められなかったりする。
この寺院は、ヴェネツィアの守護聖人である「聖マルコ」の遺体を収めるために
建造されたもの。
20070429035639.jpg 20070429035511.jpg
とにかく贅を限りを尽くした装飾的な外観。
金と大理石と極彩色のモザイク画で「これでもか!」と彩られている。
そのすぐ左手に建つシンプルな鐘楼・カンパニーレ。
ヴェネツィアのランドマーク的存在で、勿論登ることもできる。


サン・マルコ広場を挟んで建つのは、かつての行政長官府(Procuratie)と、
コッレール博物館(Museo Civico Correr)。

ヴェネツィアの治安は、かつて「夜の紳士たち(シニョーリ・ディ・ノッテ)」と
呼ばれた警官たちの
働きもあって、結構良いらしい。
確かに、そこそこ大きな路地には例外なく、いかめしい制服に
身を包んだ
警官が佇んでいる。
そんなシニョーリのいる路地をすすむと、ヴェネツィア最大の
運河であるカナル・グランデ(Canal Grande)に出る。


カナル・グランデにかかるリアルト橋(Ponte di Rialto)の上から、運河を
行き交うヴァポレットやらモトスカーフィをうだうだ眺める。
やたら笑顔の船員たちが、手を振りながら橋の下を抜けていく。

20070429035738.jpg



町のいたるところには、今もヴェネツィア共和国の国旗がはためいている。
目の覚めるような紅の地に、金糸で縫い取られた翼のある獅子。
この獅子は、ヴェローナなど、かつてのヴェネツィア領でも彫像や建築の
モチーフに見とめることができる。

世界遺産に満ち満ちた観光地とはいえ、一本道筋を変えれば、さながら
大阪のような下町情緒が溢れ始める。


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かい合う家同士で、滑車を使ってヒモを渡し、洗濯物を干す。
イタリア都市部では、洗濯物を外干しする習慣が殆ど無くなったらしい。
小さな路地を入ったところや、ナポリのような移民が多い場所でなければ、
洗濯物の翻る光景はない。

昼食時。
もう分かっているだろうけど、水の都の郷土料理と言えば、魚介。
イタリアと言えば、何はともあれパスタ。
パスタと魚介…イエス!Nero。イカスミです。
日本人相手のリストランテでは、強烈におススメされるみたい。
外から見てたけど、エグいよー黒いよーママー。
そういうわけで、何ぼなんでも見た目に問題があったイカスミは諦めた。
カフェテリアでグリッシーニとプロシュート食べた…。
プロシュートは生ハムの類で、弱った胃袋は案の定悲鳴をあげていた。

昼食後、定番のゴンドラに挑みかかるよこやまさん。
ゴンドリエとの熱く慳貪な値段交渉の末、ヴェネツィア風のひげを蓄えたイイ男
(よこやまさんの目には全員ジローラモに見えた)の操る
ゴンドラに乗船ケテーイ。
わーいオサーンオサーン
!!因みに、値段交渉次第で30分50€くらいになった。

そこから数十分間、小運河をうだうだと下る。
ゴンドラの舳先に立つゴンドリエは、いかにもなカンツォーネを歌ってみたり、
ハーモニカを吹いてみたりと忙しい。
そのパフォーマンス、船尾の方から見ている
こっちが「落っこちやしないか」とビクつく。
 
20070429035622.jpg  20070429035547.jpg  20070429035235.jpg

彼らゴンドリエの服とゴンドラは、町のきらびやかさに反して、なぜか黒一色。
フェルゼと呼ばれる船室も黒く塗られ、それを覆うカーテンも黒羅紗である。
これは、かつてペストが流行った際、華美な風潮を慎むことで流行を食い止め
ようとした
共和国令の名残らしい。
くだんのS.M.デッラ・サルーテ大聖堂は、この時のペスト終焉を
祝ったもの。

ゴンドラが今だきらびやかなりし16世紀中期には、黒いゴンドラはCDXの使いと
して恐れられた
そうである。CDXは、共和国政府の秘密組織である十人委員会
(Consiglio dei Dieci)の頭文字。
十人委員会はヴェネツィア共和国のCIA的な存在であったと言われる。
国家反逆罪を取り締る委員会であり、CDXのゴンドラには政治犯が乗っている…
かもしれなかった。しかしながら、そんなものもう存在しない。
ジェノヴァやヴェネツィアが地中海の覇を競った時代は、もうないのだ。

ゴンドラが二台すれ違えばもう一杯いっぱいな小運河を、ゴンドリエたちは器用に
進んでゆく。
今も人が住んでいるという一般住居の間を、すいすい、すいすい。
穏やかなゴンドラの揺れと暖かな天気に、なんとなくぼんやりしてしまう。
20070429035539.jpg 20070429035529.jpg
そう言えば。
わたしは、どうしてもヴェネツィアに来たくて、イタリアを旅行地に選んだのだ。
それも、くだんの馬鹿馬鹿しいロマンチシズムが理由だった。

わたしの好きな人が初めて訪れた海外は、イタリアだったのだそうだ。
今は教師をしているというその人が、教員採用の知らせを実家からの電話で
知ったというのが、ここヴェネツィアのホテルだった。
それが、わたしがイタリアを訪れようと決めた理由だ。

早い話、わたしはその人の真似がしたかった。
私がヴェネツィアにいたその日は、香川県の教員の異動発表があった。
夕方には、教師をしているママンに国際電話をするつもりだった。
いつかその人がいたのと同じ場所で、そういう日に触れてみたかった。

わたしは、その人と
共に生きることもなければ、共に死ぬこともない。
その人が異動になってしまえば、二度と会わなくてもおかしくない。
もし発表の日に日本にいれば、わたしは始発電車に飛び乗ってでも、香川に
帰ろうとしていただろう。
そうやって帰っても、わたしを待つものは何もない。
とにかく空しいだけなのだ。
そうなるよりは、どうやっても手が出せないくらいの距離感の中で、
その日を過ごした方がいい。
そんなわけの分からないロマンチシズムでもって、
私はその日をヴェネツィアで過ごすことを切望した。



こうして文字にしてみて、なんだか薄ら寒い気分になる。
正当な理由とはこれっぽちも思えないし、くだらないロマンチシズムのために
数十万円をはたいた
ことになるのだ。愚かなものだと心底思う。

その人も、おそらくゴンドラに乗っただろう。
サン・マルコ広場を抜け、カナル・グランデを渡り、リアルト橋を見上げて。
古びてなおも美しい尖塔の町。
小さな運河にかかる溜息橋。
広場を見下ろす豪奢な寺院。
飽きもせず決まった数を打つ鐘楼。
街中を走る無数の水路とゴンドラ。
わたしの見たそれらを、その人も見たのだろうか。
20070429035352.jpg 20070429035503.jpg
ゴンドラを
降りる時ゴンドリエにチップを渡すと、彼はありえないほどの笑顔で
「アリガトウ」と
片言の日本語を返してくれた。

そうして歩き出したけれど、気分は妙に重たかった。
小さな路地を歩けば歩くほど、どんどんみじめになる。

どんなにそれらしい形容と修辞をつけても、何もかも、結局私は知らない。
私が知っているのは、その人の初めて訪れた海外がイタリアであり、
ヴェネツィアであったという、その事実だけだ。
ただそれだけの話だ。
もしその人と同じ道を歩いたのだとしても、それはわたしの夢想に過ぎない。
ありもしない思い出への固執に過ぎない。
その人の歩いたかもしれない石畳は、幾百万の観光客によって磨耗して、
きっともう、全く違う姿を見せている。
わたしには関与できない、その人の人生。
そういう事実を見せている。
腹立たしい、情けない、悲しい。

だから、その人が死ぬ日に消えてなくなってほしいものは、ヴェネツィアだった。
わたしの愚かさが行き着いた町。
なくなってくれるなら、きっとそれがいい。
そのままの姿で、あの穏やかな海に沈めばいい。

沈め。
美しい運河の町よ、沈め。
アクアアルタなんかじゃなく、もっと深く、アドリア海の底に沈め。
石畳がこれ以上磨耗しないよう、きらびやかな寺院が水底に翳るよう。
全てをたゆたう温い水の下にして、苔むして眠れ。

沈め。
なによりも深く沈め、いとおしいもの。
水底へ、その事実を深く運んでゆけ。


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日記は雑記。  2007.03.23
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プロフィール

よこやまさん。

Author:よこやまさん。
性別:女のひと
年齢:19歳13ヶ月に突入。
趣味:女子高生の制服を追求。
所属:日文専攻、合唱団ほか。
備考:香川を愛してやまない
大学生。でも今は京都暮らし。

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