スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告  --.--.--

いつかこぼれて失われるとしても

CoM0 TrB0

日曜の失態以来かなりグズり続けてきましたが、何とか浮上…。
ていうか、泣きすぎて真っ赤になった目が元に戻らなくなったので、流石に
これ以上へこんでいたら別のところでしわ寄せがくると了解し、強制浮上。
泣いてたときにずっとごしごし擦ってたから、そのせいで結膜炎になったん
だろうなぁ。
眼科行かんと…ついでに視力検査もしてもらって、眼鏡デビューするかどうか
考えよう…。



よこやまさんは日本史が結構好きです。
そうは言っても、大学の専門研究に情熱を傾けるほどの愛好心ではないし、
特筆するほどに博識でも無ければ、執拗な愛着を持っているわけでもない。
ただ、教科書に詰まった知識たちを漠然と好いているだけです。
もっと言えば、何だろう…日本史という学問の中にある実感が好きなんです。

時間軸の中で緻密に組み上げられ、
様々な事象で埋め尽くされた歴史の大系。
その大系の中に、よこやまさんという生き物がいる。
そんな実感があるように思えてならないのです。
こういう、人間の実存を証明する学問て、なかなか無い気がします。

例えば数学。
数学の定理は、自然の一部に属するものと言った方がいいですよね。
『博士の愛した数式』の言葉を借りるなら、「神様の編んだレース模様」
みたいなもので、それは決して人間が作り出してきた学問じゃない。
例えば生命科学という分野。
それらの技術が導き出すのは、人間の組成ではあるかもしれないけれど、
それは決して実存の証明じゃない。
こういうテーマに最も向いているのは、むしろ文系の分野でしょうか?
哲学や文学は、肉感的な虚構を通して、自らの側に普段立ちえない
存在と対話する技術や、深い内省の技術をもたらしたりしてくれます。
ただ、そこから実存という実感を導き出すには、とてつもなく深い思考と
膨大な時間、透徹した理性の力、あとは尋常ならざる忍耐がいる。
よこやまさんはただとにかく、自分という生き物を裏付けてみせる
単純で明確な時間の証明が見たかった。

それに応えるのは、やっぱり史学です。
もちろんフェルマーの定理はすごい、ゲノムの解読だって技術の粋だ。
死の本能をタナトスと言い得たことも、スタンダールの恋愛論も本当にすごい。
凄いけれど、目前に展開されてゆく「歴史」には適わないんじゃないか。
そう思ってしまう。

歴史は時間と自分の存在を証明する証明問題です。
一つずつの事象の連なりを証明していって、現代までたどり着いたなら、
そこには絶対に自分の存在がある。
歴史は主観と結びつけて捉えることが容易ですよね。
その反面、もっと巨視的にあるいは客観的に眺めて、巨大な趨勢の
恐ろしさに何かを見つけることもできる。
これは歴史にしかもてない教訓かもしれない。
そうして、結局いつもそこに圧縮されたあらゆるものに驚いてしまう。
だから、よこやまさんはとても歴史が好きでした。

それに、これまでわたしが出会ったきた社会科の先生たちは
みんな朗らかな知性を持っていて、とても尊敬できる人たちでした。
自分の好きな人がそうだったように、時間をかけて勉強を続けてゆけば、
自分もいつかあんな知性を備えた人間になれるんじゃないか。
そう思わせられるのですよ。

そして何よりも、
あの教科書を開いて鉛筆を握るたび、
一つ一つの言葉を目で追いかけるたび、
それらの記憶を自分の中から掬い上げるたび、
「わたしはあの人のことが驚くほど好きだった」と
そう思い出して、嬉しくて嬉しくて仕方がない。
本当はこれ以上の理由はないくらいで、どんな理屈をこねたところで、
結局はこれに尽きてしまうんじゃないかとも思います。
些細で子どもじみたロマンチシズムだと感じないわけではないけど、
それでも、これが何にも増してわたしを突き動かしてきた力だと思います。

さっき、本の山の一番上にあった世界史の問題集をぱらぱら捲ろうとしたら、
ちょうど開いたところがバロック様式の文化を説明したページでした。
よこやまさんは、世界史については基本をかじった程度で全くと言っていいほど
分らないし、その僅かに知っていた部分も(さきの検定試験で思い知った通り)
忘却の彼方にあるような状況です。
だからバロック様式の芸術たちがどんな様合のものだったのか、それを説明する
ことはできません。
でも、一つ覚えていることがあります。
バロックという単語、語源はポルトガル語なのだそうです。
バロックは、ポルトガル語で「いびつの真珠」を意味するのだそうで。
真珠の品質ランクに「バロックパール」というのがあるのも、この名残でしょうね。
これも、よこやまさんが高校の先生から習ったことです。
こんなことを覚えていてもしょうがないのだけれど、何だかとても慰められました。

真珠は自分という核の周りに栄養素をまといつかせ、それをまるい形にしていく。
場合によっては駄目になってしまって、また最初から形を作り直すこともある。
だからかたちはすこしゆがんでいて、でもそのぶん独特の偏光が美しい。
いびつの真珠は、人間の知識とよく似ているように思います。
かたちは少し不恰好だけれども、よこやまさんにもそういう知識は残っている。

人間の記憶はこぼれ落ちてゆくけれど、そのたびに何度でも拾い上げて、
何度でも思い出して、もう一度かたちにしていくしかない。
思い出すために用意された忘却だったと信じて、何度でも何度でも
しつこいくらいに探し出してやりたい。
とりあえず、今はもう一度探し出して、また自分のものにしていかんと。

検定試験の自己採点はどうにかこうにか出来ました。
センター試験の採点だって、あんなに手ぇ震えたりしなかったぞ…。
結果は、幸か不幸か、凄く微妙な線です。
来月の合否判定がどんな裁量で下されるのか、天に委ねて待つしかなさそう。
とりあえず、この冬休みにすべきことが見つかってよかった、と思うことにする。
いかにも青春(今、誤変換で聖旬て出た。間違ってない気もする)な文章ですなぁ。
後で読み返したらむっちゃ恥ずかしいんだろうなぁ、これ。


スポンサーサイト
日記は雑記。  2006.12.13
= Comment =
  • Name 
  • Mail 
  • Url 
  • Text
  • Pass 
  •  Secret

= Trackback =
Trackback Url » http://lt023052.blog83.fc2.com/tb.php/19-59b30861

プロフィール

よこやまさん。

Author:よこやまさん。
性別:女のひと
年齢:19歳13ヶ月に突入。
趣味:女子高生の制服を追求。
所属:日文専攻、合唱団ほか。
備考:香川を愛してやまない
大学生。でも今は京都暮らし。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。