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海風の吹く世界の涯

CoM0 TrB0

帰ってきました、よこやまさんです。
新幹線の早さに感動したよこやまさんです。
画ちゃんの閉鎖にも泰然と構えるこやまさんです。
画ちゃんのJK板が先週から停止してると思ったらそういうことか!!
やーいK察め!画ちゃん閉鎖ごときで勝った気になっていらっしゃるの?
貴重な画像は全部保存してあるから、ワタクシは痛くも痒くもないのだよ!!

あー長いかも!
どんより暗い気分になること請け合いの長さ!
そして内容も自分で感心できない。
それでものせちゃう自分でごめん。



昨日までの雨とは打って変わって、今日は五月晴れでした。
今日一日で見る限り、香川はもう夏でした。
よこやまさんは夏が好きです。
自分の生まれた田舎町が最も美しいのは夏だと思います。
海と山以外に何もない町だからこそ、そういう自然物の爽やかな季節が
似合うんでしょうね。京都や大阪、東京に夏は似合わない気がするし。

今日は早起きできたので、海まで散歩をしてきました。
うちの田舎は海の近い町で、自宅から七、八分で海に着きます。
よこやまさんが散歩に向かった海水浴場は、白砂青松の風景と、
内海には珍しいくらい澄んだ海水が自慢です。

着いてみると、早起きが得意な人種である老人と子どもたちの姿が
既にぽつぽつと見うけられました。
砂浜に戯れる子どもたちを、まったりと眺めて過ごしましたよ。
波打ち際に座り込んで砂の城を築こうとする子どもや、
海岸の岩の上から棒をさして海水をかき回す子ども。
のどかだねー、お譲ちゃんかわいいねー、こっちおいdあwせdrftgyh…。
そんな変な人にも寛大な我がふるさと。

そんなのどかな海から十分くらいの場所、我が家からは一分の場所に、
大きな総合病院があります。数年前に増改築されてできた九階建ての
病棟が目印、M病院です。(地元民にしか拾えないネタ。

その近さから、ひきかけの風邪やらなんやらで、よくお世話になります。
最寄のコンビニよりも近いので、院の売店にもお世話になります。

この病院、よこやまさんの散歩コースの穴場でもあります。
病棟の海側に面した壁には、非常階段がついているんですよ。
白いペンキが塗られた、らせん状の非常階段。
高いところ好きなよこやまさんが放っておくわけないのです。
幸いにも、その非常階段は病院の窓の死角になっていました。
下からの視線には野ざらしですが、田舎の人口構成比を占めるのは
多くが老人。地上八階の人間を視認できるご老体は少ないものです。
ハァハァ、のぼりほうだい。
この管理の手薄さも田舎が田舎たる由縁でしょう。

そうして屋上につづく踊り場まで行き、欄干の向こうに視線を向ける。
当然、わたしの住む町が見下ろせる。
高い建物が殆どないというのは気持ちのいいものですね。
町だけでなく、海やそこに流れ込む川も凄く間近に見えます。
ちょうど今の季節には、大潮(潮位が大幅に上がる現象)と海風の関係で、
川の河口から海のにおいが
運ばれてくることさえあります。
夏の訪れを合図するような風だと思っていました。
そこに登って訳の分からない考え事をするのが大好きでした。


あ、そうだ。
この病院、先ほど九階建てと書きましたが、実際のフロア数は八つです。
病院やマンションは、「四」を嫌ったりするじゃないですか。
そのためこの病院にも四階がなく、三階の次は五階になっているのです。
因みにフロアの構造はこんなかんじ。

一階→外来と緊急センター
二・三階→短期入院の病室
五・六階→長期入院の病室
七階・八階→関係者詰め所、研究室

四階はなく、九階は何があるのか分かりません。
IDとパスワードを持っている人以外、立ち入り禁止なのです。
フロア数の上でも存在しないはずの九階。
なにがあるのかは分からないけれど、長年その隣に住んできたわたしの
考えは、多分当っているんだろうと思います。(ホラーじゃないよ、一応。)

最近の大きな病院には、末期患者に対する医療施設を併設するところも
多いですね。終末医療の専門施設、ホスピスなどと呼ばれる場所です。
九階は多分、そういう場所だと思うのです。
この病院の専門は放射線治療です。
設置されている科は、内科や脳外科。
それを必要とする人がいる病院に、ホスピスがないとも思えないので。
帚木蓬生などの医療モノ作家の本で読む限り、ホスピスは「待つ」場所と
説明されることが多いようです。
治療手段が見つかるまでの時間を待つ場所。
病んだ心身が癒えるのを待つ場所。
回復の望みを断たれ、生き終わるのを待つ場所。

昨年、マイおじいちゃんがこの病院の二階に入院しました。
尿道結石の手術のための短期入院です。
今はもうどうしていいか分からないくらいピチピチだし、入院中も検温に
来る看護婦さんに恋☆してた(孫にはそう見えた!)くらいピチピチでした。
その時、見舞いに行って、窓をあけるときに気付きました。
この病院の窓は、十センチ以上あかない構造になっていました。
事故防止のためなのでしょうが、よこやまさんは妄想狂なんです。
事故死じゃない死を防ぐためのものに思われてならないのですよ。
それは勿論、病死でもない。

九階ならばなおのことでしょう。
本当は存在しない九階。
十センチしか開かない窓。
やたら眩しく明るい、人工的な乳白色の壁。
一日中調節された、季節のない気温。
見たことなんかないけれど、九階はたぶんそういう場所な気がします。
そんな九階が、そこにいる人たちの世界のはて。


よこやま家は病院から一分という立地です。
病院からの奇妙な来訪者も少なくありません。
風で舞い込んでくる、病室とおぼしき数字の書かれたタオル。
うちの駐車場をかしてくれと頼みに来る外来や見舞い客の方々。
彷徨癖のあるらしい認知症のご老人。
散歩途中、はからずも迷い込んでしまった入院患者さん。
こっちも長年暮らしているので、どこにどうやって連絡すればいいのかも
分かっています。慣れです。
それでも、時折尋常じゃない方がいます。
たかが一分の道のりに息が上がって真っ青になる方とか。
やっぱりドキリとします。

よこやまさんは妄想が大好きです。
そんな妄想力(普通の人が働かせない場所で働く想像力の総称ww)で、
よこやまさんはその人たちのことを考えました。
その人たちは、九階の人じゃないだろうかと。
そして、その人たちはホスピスから逃れようとしたんじゃなかろうかと。

今年度の推定自殺者数って、どのくらいかご存知でしょうか。
ここ数年は右肩上がりだそうですが、今年度は三万五千人をこえるらしいです。
よこやまさんは、その最後を踏み切った人たちの気持ちが分かりません。
分かっていたら自分はもう生きてない、そういう確信みたいなものがあります。
ただとにかく、今年は約三万五千人が自殺をするんだそうです。
借金苦、病苦、なんか色々。
そんな理由とは関係なく、そうやって死ぬことが命題だった人もいるのかな。
三万五千分の一の理由があるんでしょう。分からないけど。
よこやまさんちに迷い込んだその人たちも、
その三万五千分の一の理由を持っていたのかもしれない。

九階にいれば、確実に病に殺される。
それがその人の運命だよと言われれば、どうだろう。
最後には受け入れるんだという話は聞くけれど、実際そうなんでしょうか。
ままならないことばかりの人生に抗わない人なんかいるんでしょうか。
そういう人は、九階の運命を避けようとするんじゃないでしょうか。
九階じゃない場所と方法を求めるのが悪いこととは思えません。
そうやって三万五千分の一を選んだ人に、誰が文句を言えるか。
そうしないにこしたことはないけれど、そういう人を非難できるか。

病気は色々なものを諦めさせるんだと思います。
わたしと同い年の人がホスピスにいるとして(不謹慎だけど)、
彼女はどんなものを諦めただろう。
ゼミやサークルの友人、恋人、そういう人たちとの時間、かわいい服とか、
まだすかすかの本棚とか、書き込みが沢山できる手帳とか。
そういうものを諦めたんでしょう。
二十年も生きたのに。
そういうものを諦めてきた人に最後の方法まで諦めろと、
わたしなら、はたしてそう言えるでしょうか。


「死にたい」という人に対してよくなされる説教に「死にたくなくて死ぬ人だって
いるんだよ!」という文句があるけれど、あれはどうだろう…と思います。
死にたくないのに死んでしまう当人にしてみれば、あまりにやりきれない言葉だ
と思いませんか。その言葉で納得されるなんて、あまりにその人が哀れだ。
同じような文言に「人の命は未来や過去からの借り物にすぎない。だから、
自殺はあまりに自己中心的だ」ってのもありますね。
これは確かに一理あると思います。生物学の見地からしても、種を保存して
次代に生かすのが生物の原始的な使命なわけだから、間違ってない。
自分につながる人々への恩返しだというのも、何ら間違ったことじゃない。
人生を通じて、その人たちへの恩返しに値する何かを見出し残していくのが、
やっぱり理想です。
でも、その死にたくなくて死ぬ人は、もうすぐ死ぬんです。
子供のいない人だっているかもしれません。
残すものをまだ見つけていないかもしれません。
そんな人を考えるとき、この言葉はあまりに酷というものではありませんか。
残せないかもしれない人への、あてつけに聞こえませんか。

今朝、散歩途中にみた子どもたちは、波打ち際に砂の城を築いていました。
城は勿論、何度作っても波にさらわれてほどけてしまいます。
指のあいだをこぼれて流れる、脆弱な砂。
どれだけ積んだところで、大海の細波は容赦なくそれをさらう。
そんな儚いものを、築いても築いても崩されるものを、必死に積んでいました。
その砂の城みたいな人生を、なにが証明してくれるんでしょう。
どんな方法で証明してくれるんでしょう。

自殺はいけない、それはそうだけれど。
九階の運命を自分で避けようとする人には、その権限があると思うのです。
生きようと思ったのと同じだけの強さの、死にたいがあると思うのです。
勿論これだってまだ死なないよこやまさんの穿った考えだけど。
ホスピスのある九階の更に上、非常階段から登る屋上で、
よこやまさんはそんなぐだぐだを考えます。
彼らにとっての世界のはての上で、一体なにをしてるんでしょう。



有島武郎の「小さき者へ」の一節にこんなのがあります。
「その熱い涙はお前たちだけの尊い所有物だ。それは今は乾いてしまった。
大空をわたる雲の一片となっているか、谷河の水の一滴となっているか、
太洋の泡の一つとなっているか、又は思いがけない人の涙堂に貯えられて
いるか、それは知らない。」

誰でも知ってるけれど、水というものは循環します。
空を滑る雲や、渓谷をゆく水。
それらが辿り着くのは、非常階段から見たあの海。
あれは、わたしたち、あるいはその人たちのなみだが
巡りめぐって辿り着く水溜りみたいなものかもしれない。
単なるロマンチシズムに過ぎないですけどね。

今日、海からの散歩帰りに、この非常階段へ上ってみました。
久しぶりだけど、大して変わらない風景がありました。
潮くさい海風に始終さらされながら、町を見下ろす非常階段。
わたしが眺める欄干の向こうで、
九階の十センチしかあかない窓の向こうで、

なみだの海が波打っている。
海風の吹く世界のはて。
わたしたちのなみだは、今日もきれいに輝いていた。


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日記は雑記。  2007.05.26
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プロフィール

よこやまさん。

Author:よこやまさん。
性別:女のひと
年齢:19歳13ヶ月に突入。
趣味:女子高生の制服を追求。
所属:日文専攻、合唱団ほか。
備考:香川を愛してやまない
大学生。でも今は京都暮らし。

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