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フィレンツェ発の15分

CoM0 TrB0

 よこやまさんが、これから旅行へ行く人におすすめしたいのが、
目的地に関連する本を数冊読んでおくことです。
ヨーロッパなら特に、世界史とセットでかじっておくといいですよ。
よこやまさんも今回のイタリア旅行に際し、山川出版の青表紙の教科書と、
数冊の小説を鞄に詰め込んできました。
そうでなくとも、往復で合計二十数時間のフライトの間、暇をつぶすのは
機内持込に制限のない本の類
しかありませんから。



イタリア行くつもりの方は、この5冊がおススメですよ。
「冷静と情熱のあいだ rosso」
「冷静と情熱のあいだ blu」
「緋色のヴェネツィア」
「銀色のフィレンツェ」
「黄金のローマ」

定番ですが、塩野七生のイタリアものは読んで損がないです。
特に、小説仕立てですすむ、上記の「イタリア三部作」はオススメ。
塩野七生は『イタリア遺聞』などのエッセイも勿論面白いのですが、その舞台を
訪れる感動という点では小説に敵わないと思っています。
『ローマ人の物語』も小説だけど、あれは壮大すぎて、ローマにひと月くらいは
滞在しないとその真価を見極めることはできないんじゃないかな。
(そういえば最近やっとこさ完結しましたね、あれ。)

塩野氏は、イタリア政府から国家功労勲章のグランデ・ウッフィチャーレ章(日本で
言うところの文化勲章でしょうか)を授与されているそうですが、まさにその名に
恥じない作品群だと思います。

数年前に映画にもなった、江國香織と辻仁成の連作『冷静と情熱のあいだ』も
定番ですよね。
「あおい」視点を描く江國氏と「順正」視点を描く辻氏による本作は、お互いが
お互いの
スピンオフ作品的な位置づけとして、補完しあいながらエンディングへ
むかっていく構造です。
映画版の見せ場にもなった、フィレンツェの花の聖母教会のシーンは、
美しさに名高いですよね。
尤も、小説は淡々とそのシーンが描かれていて、
そのへん期待して小節版を開いた人
には残念な結果かも。
まぁでも、この小説片手にその舞台に溶け込むのは、なかなか乙なものですよ。
あ、この本の読み進め方について、ひとつ提案!
よこやまさんは、ロッソから読み始めて、一節ごとに交互に読み進めるのを
おススメします。
ブリュのラストをロッソの後にもってくると、ぐっと来るので。

というわけで、三日目の観光はフィレンツェ。
トスカーナ最大の城壁都市であり、英語名ではフローレンス、フロレンティーナ。
紀元前59年カエサルによってアルノ川流域に築かれた古代都市は、幾度も
主を変えながら、
1028年に神聖ローマ帝国ハインリッヒ四世の軍を退けたことを
きっかけにして、
1125年に共和制自治都市の宣言をあげました。
ルネッサンスの華やかかりし往時そのままに、フィレンツェのいたるところには
今も百合の市章とメディチの紋章が輝いています。
丸薬をかたどったメディチの紋章は、出身がメディシンつまり薬屋だったと言われる
この大パトロンに相応しい意匠といえるでしょう。

フィレンツェの黄金時代は、このメディチ家一門と切り離しては語られません。
なかでもその栄光の極致をむかえるのが、ロレンツォ・ディ・メディチのころ。
彼が生きたのはイタリアルネッサンスの花開くクワトロチェント。
同時に、フィレンツェに落とされる黄昏の光が見え始めた頃でもありました。

フィレンツェの栄光であるメディチの文化遺産は、かつての経済発展に約束された
ものでした。
最初、毛織物から勃興したフィレンツェ経済は、銀行業の発達に
よって瞬く間にイタリア指折りのものとなります。
ヴェネツィアのデュカーレ金貨が台頭する以前には、フィレンツェで鋳造される
フローリン(フィオリーノ)金貨は欧州最大の権威でした。
最大の権威金貨を持つ。
それはすなわち、フィレンツェが宛ら現在のウォールストリートとなった証でした。

この欧州金融の首府の中で、メディチの文化資産は花開いていくのです。
この文化成長は、ミラノやヴェネツィアなどの、他の経済都市にも同じかたちで
見られます。経済の安定期は同時に衰退期の始まりでもあり、その衰退の中で
成熟した文化が花開いていくんですね。
そうして黄昏を迎えたフィレンツェに、怪僧サヴォナローラが現れます。
清貧をとく彼とそれに傾倒する市民によって、メディチはフィレンツェの地を
追放されます。
その後、サヴォナローラは教皇アレクサンドル
6世と対立し処刑を受け、それに
次いで共和国第二書記長官となったマキャヴェリにより、フィレンツェは
ひと時の安定を取り戻します。
しかし、1512年にカルロスの率いた大国スペインの軍により、この城壁都市の
共和政時代は挫かれました。
その後、スペインの後押しによって、メディチ家は再びフィレンツェに復帰しましたが、
自由の失われたフィレンツェで再び文化が花開くことはありませんでした。

また長いこと書いた!
全く習ったことない世界史だけど、無知ながらこれだけ書けたんだし、
世界史検定でも受けてみようかな…。

まぁとにかく、現代でもフィレンツェにはメディチの栄光が残されているのですよ。
そもそも、現代わたしたちの目にするフィレンツェの都市は、メディチの保護する
建築家ブルネッレスキによって計画されたもの。
街中を走るバスだって、イリスとメディチの紋でデコレートされています。
フィレンツェ市民にとって、かつての共和制時代はいまだに誇りなんですね。
街頭の露店ではイリスの花が刻まれたフィオリーノ金貨のレプリカが売られ、
町のそこここには
イリスの紋章が散りばめられています。

fs線でサンタ・マリア・ノヴェッラ中央駅(Stazione Centorale S.M.Novella)に
入りました。これがフィレンツェの基幹駅です。
よこやまさんにはフィレンツェに留学している友人がいまして、フィレンツェ観光は
彼女に案内を頼むことになりました。
制服仲間から紹介された彼女、今はデザインの勉強中だとか。
待ち合わせは中央駅を出てすぐのマックです。どこでも待ち合わせの定番。

そう言えば、イタリアの鉄道の切符は所定の駅の販売所以外にも、キオスクや
タバッキ(Tabacchi)と呼ばれる、日本で言うところの売店(タバッキという文字が
意味する通りかも)でも売られています。
駅周囲にキオスクやタバッキが多いイタリア鉄道は、観光客が切符を買うには
とにかく便利でした。意外と売店の人の方が英語を分かってくれるので。

そして、この駅こそが『冷静と情熱のあいだ』のラストシーンに登場する、
サンタマリアノヴェッラ駅です。
早速テンションあがります。
辻仁成の小説「サヨナライツカ」に感化されてタイに行き、
オリエンタルバンコクに
泊まった我が母の血を引いています。

マックではイタリアにしかないメニューを頼み、これから友人とお昼を食べるとは
思えない勢いで食す。でも何食べたか忘れた。カプチーノは飲んだかな。
彼女が来たのはすぐ分かりました。
観光客の東洋人が多いとは言え、一人でてくてく歩いてる女の子なんて
そうそういません。
第一声は「最近、制服どうよ?」でした。うん、まぁまぁ。

観光スタートの前のランチに、美味しいトラットリアを紹介してもらって、
ツーリストメニューをいただきました。


ツーリストメニューは文字通り旅行者向けの安価なメニューで、各地の名物や
ドルチェを
形式関係なく食べられるもの。(ほんとの形式ならパスタは前菜だけど、
ツーリストメニューでは、
それに関係なくメインになったりする。)
早朝にフィレンツェに着いてから、マックでイタリア限定メニューを食らっている
よこやまさん。
しかし、よこやまさんの胃袋は宇宙だ!!
マッシュポテトの悲劇から逃れた今、最早食に関しては無敵。

観光は早速フィレンツェのハイライトである花の聖母教会ドゥオモとカテドラル
(Santa Maria delFiore Duomo
/Cattedrale)から。
20070429043619.jpg 20070429043522.jpg 20070429043605.jpg
このドゥオモがあるドゥオモ広場(Piazza del Duomo)が町の中心。
ここから北には、メディチの菩提寺サンロレンツォ教会(San Lorenzo)や
メディチ家礼拝堂(Cappella Medicee
)、南にはアルノ川にかかるヴェッキオ橋
(Ponte Vecchio)、シニョーリア広場(Piazza della Signoria)、
ウッフィツィ美術館(Galleria degli Uffizi)…とフィレンツェ共和国の政治の要所が
並びます。

「できる限り荘厳に、かつ豪勢である」ことを旨として建築されたという、
花の聖母教会はイタリア語で
サンタ・マリア・デル・フィオーレ。
フィレンツェらしいネーミングです。
20070429043856.jpg
イタリアの歴史建築は、そこに使われた大理石の色合いで年代が分かると
いいますが、
この花の聖母教会はまさにその色合いの差を実感できる存在。
大理石とは言っても、純白、灰ぐすみ、碧、ピンク、藤色…と様々な色合いを
持っていて、これらが
ファザードの幾何学模様を描いています。
1296年から百年をこえる歳月をかけて建築された大聖堂は、下の階層と上の
階層で設計者が
違います。
上の方、特にクーポラはくだんのブルネッレスキの傑作。
そのすぐ前に位置するのが、洗礼堂(Battistero San Giovani)。
八角形の愛らしい建物で、
町の守護聖人である聖ジョヴァンニに捧げられたもの。
壁の三面にしつらえられたブロンズの扉は、いずれも美しい彫刻が有名です。
なかでもドゥオモに面する東側の「天国の扉」は見事。
因みに、この天国の扉の精巧なレプリカを寄贈したのは日本人。
そのため、フィレンツェには日本人=金持ち、という短絡的としか言えないイメージ
があるらしく、ことのほかスリやら何やらに狙われます。
ドゥオモの横には「ガラス扉の中に入れておくべき工芸品」だと言われ、ダンテの
神曲にも登場するという、ジョットの鐘楼(Campanile di Giotto)が聳えます。
この鐘楼は、6を払えば414段の階段を上って屋上に行くことができます。
「冷静と情熱のあいだ」であおいと順正が待ち合わせたドゥオモのクーポラも
ステキですが、
あっちは信じられないほど混むのでオススメしません。

よこやまさんはドゥオモを写真におさめたかったので、ジョットの鐘楼に登りました。
のぼりもくだりも同じ階段を使わねばならないのですが、人と行き違うときには
セクハラとしか思えないくらいに体が触れ合う、ほんとに狭い階段です。
荷物が大きいと断念したほうがいいです。
で、昇る。

わたくし「うヴぇぁぁぁぁ、死ぬぅぅぅぅ、きついぃぃ…」
フレンド「うっさい。きびきび昇らんかい」
わたくし「うヴぇぁぁぁぁぁ…」

景色がひらけるとこの通り、順正たちが待ち合わせたクーポラが対面に見えます。
20070429043815.jpg  20070429043759.jpg
よこやまさんは、あおいと順正がめちゃくちゃうらやましいと思うのですよ。
あおいの三十歳の誕生日にクーポラで待ち合わせる、そんなささやかな約束を、
別れてなお八年間も温め続けた二人が。
お互いに別の誰かを大切に思いながら、それとはまた別のところで焦がれている、
その事実がうらやましい。
そうして再会した二人は、この町を見下ろしたわけですね。
もう重なることはないと思っていた人の人生の点が、再び自分のそれに重なる。
その座標は、美しい花の都を見下ろすドゥオモの上。

順正は、この褐色のフィレンツェを「中世のまま時間をとめて死んだ町」と言った
けれど、よこやまさんはフィレンツェは生きていると思います。
人を生かす限り、その町は生きているに違いないもんね。
仮に、順正のフィレンツェはその時まで死んでいたとしても、クーポラの屋上階段に
あおいを
見止めたその瞬間から、もういちど息をはじめることもあっただろう。
少なくとも、もう一度中央駅であおいと別れる瞬間までは、僅かに息をしたはずで。
とにかく、褐色の花の町は生きている。
新しい百年、新しい世紀、新しい人の姿を生かしている。
順正とあおいの座標が、ひと時重なったように。

お腹もすいたし、お土産の物色もしたかったので、友人とスーパーに入りました。
スーパーと言っても、が高いゆえにスーパーとは思えない価格帯です。
ほんと高いの!
移行時の物価調整が物凄く単純に行われたのが原因とかいうはなし。
物価はアバウトに旧貨幣値を引き継いだのに、市民のサラリーはシビアな換算を
されたらしい。ゆえに物価高。
友人とお菓子
を買い、その後であやしい文房具や掃除道具にニヤニヤしてたら、
同い年くらいの
イタリア人男性に声をかけられました。
二人で思わず構える。なんだテメー、ジローラモか。

とか思ってみれば、驚くことに、その人は結構流暢な日本語を使うのです。
どうやら「日本に留学したことがありまんた」ということらしい。
しかも、話を聞けば留学先は、我々もよく知る大分のアノ大学らしい…。
うわー!!!ここイタリアだよー!?立命館ファミリーの世界制服じゃなかった、征服の
陰謀は確実にすすんでいる
!!
イタリアという土地柄がそうさせるのか、お互いの立命臭に懐かしみと郷愁でも
覚えたのか、よこやまさんはイタリアーノと
意気投合し、話し込むことになりました。
スーパーを出て、クソまずいアップルジュースを飲みながら、APU時代の思い出話を
聞かせてもらいました。
ほんとに別府の坂の上に校舎があって、通学が苦しかったそうです。
留学期間が満了して帰ってきたけれど、いずれまた日本に戻るつもりだとか。
まさかこんなところで立命館ファミリーに出会うとはね、きもいくらいの偶然。
世界は結局、自分とつながりのある人としか出会えないようになっているのかな。
それとも、世界の誰とでもつながりがある…ということなのかな。そうだといい。

話がなんとなく尽きたところで、ふと思いついて
「日本の何が好きで留学したの?」
と聞いてみました。怖いもの見たさみたいなものですね。
すると、「日本人は世界一優雅な民族だから」という答えが返ってきました。
欧米風に解せば「優柔不断」と言われるようなこの国民性。
それを「優雅」と表敬してくれる人に、まさかフィレンツェで会うなんてねぇ。
友人とそんな溜息をつきました。

次はシニョーリア広場へ移動して、ウッフィツィ美術館へ。
この広場が為政者や市民、あるいは黒の教団が活躍した場所。
シニョーリアは為政の中心であり、憩いの広場であり、政治犯や犯罪人の処刑が
行われた場所でもあるのです。
20070429043832.jpg
フィレンツェには「黒の教団」とか「黒い教団」とか言われる処刑担当の人々が
いたんですね。
彼らは処刑囚の世話を執り行う権限を持つ特殊集団で、時には
処刑囚に特赦を出してやることもできたのです。
ヴェネツィアの黒のゴンドラといい、「恥じ入る乞食」制度の黒装束といい、
イタリア各地で「黒」は特別な色なんですね。
今はダヴィデ像のコピーやネプチューンの噴水が見下ろす広場の中ほどで、
「黒の教団」ならぬ現代のシニョーリたちを激写。
20070429043843.jpg
警察まで観光地仕様…というわけではなく、車の入れない路地を走れるように
馬なのでしょう。
ウッフィツィ美術館へ。
世界四大美術館は…人ばっかり。
友人に頼んで予約を取ってもらったので、無事に入場できました。
ミラノでもレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見たかったんだけど、
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Santa Maria delle Grazie
)の入場は
完全予約制なうえ、個人の予約が取れなかったので、今回は周到に手を回して
みますた。
かつてメディチの行政室(uffici)が置かれていたので、この「事務局美術館」とでも
訳すべき変わった名前がついたんですね。
メディチの財力のあらん限りを集結させた美術館。
ボッティチェッリの『プリマヴェーラ』や、ラファエッロの『ひわの聖母』もここで
待っています。
更に最も有名なのは、美術館からアルノ川のヴェッキオ橋へとのびる、かの
「ヴァザーリの回廊」
メディチ家の当主たちが、外に出歩くことなく散歩ができる…
とかいうやつだっけ?忘れた。忘れて悪いか。
第10~14室はボッティチェッリの間。
『ヴィーナスの誕生』のまわりには人人人。
世界中の人種を一気に見られる美術館です。ほんと人だらけ。
個人的には、人が少ないけど面白みのあった第41室ルーヴェンスの間でじっくり
鑑賞するのがおすすめです。
ティツィアーノとかも多いし。

あ、ウィンドゥショッピングの真っ最中に見つけた子供服のお店にて。
すんごいセンス…。
20070429043928.jpg

ピッティ宮(Parazzo Pitti)やパラティーナ美術館(Galleria Palatina)を
見学し、午後からは鉄道で
ピサへ。

ピサ。
1173年の建設以来、地盤沈下で沈みまくってるというアレです。
イタリア国民やキリスト教徒にとっては、この塔がいつ倒れるか心配でたまらない
ようですが、
他の国々にしてみれば「倒壊マダー!?」という好奇の的。
斜塔周囲には美しいトスカーナの風景しかないような田舎ですが、斜塔の付近
だけは
ピストン運行で人を運ぶバスがひっきりなしに行きかう賑やかさ。
美しい芝生に足を踏ん張り、両手で斜塔を支えるポーズで記念写真を撮る、
そんな観光客もイパーイ。
いまでこそこんな有様ですが、かつてのピサはジェノヴァ、ヴェネツィアと共に
地中海の大海運国として覇を競った存在です。
13世紀にフィレンツェ大公国の支配を受けるまでは、ピサの男たちは
勇敢な
海の男として名高かったのです。

因みにピサの聖堂と斜塔は、ピサ大学にいたガリレオが、斜塔から「落下の法則」を、
ドゥオモに吊り下げられたランプから「振り子の等時性」を発見したという、科学の
殿堂でもあるのですね。実際は違うらしいけど。(とりあえず、振り子の等時性を
発見したランプは、ドゥオモのものではなく、別の小さな礼拝堂のものらしいです。)

残念ながら天候に恵まれず、殆ど写真は撮れませんでした。
当然のように、友人と一緒に「ピサの斜塔を支えるポーズ」の写真を撮りました。
愚か者!

ピサ観光を終え、再び友人とフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ中央駅へ。
ここで彼女と別れ、よこやまさんはインターシティでローマを目指します。
ローマに直行すると真夜中になるので、途中のボローニャで一泊してローマを
目指す行程です。
友人を改札の向こうに見送り、大きな電光掲示板を眺めながらインターシティの
乗り入れ
ホームを探します。
次に彼女と会うのは夏のオフ会。制服トークもまた弾むでしょう。
予約を取ったインターシティに乗って、フィレンツェでの一日が終わりました。

フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅。
順正とあおいがドゥオモで再会した時、二人の中で息を吹き返した町。
それがもう一度歩みを止める場所です。
あおいは再会した順正と別れ、よこやまさんが乗るのと逆方向のインターシティで
ミラノへと戻っていきます。 


次こそ本当の永訣になるのを分かっていながら、明るく残酷に晴れた真昼の
フィレンツェを立つ。
その決意を固めようとしながらも、あわあわとした絶望を見るあおい。
ドゥオモでの再会という未来をたのみにし、かつての過去を背負ってきた順正。
彼は、その再会が無ければ、その約束を願ったままで永劫に生きられたかも
しれない過去を思います。
歩み去ろうとする二人の座標は、それでも過去と未来へと伸びるベクトルを
振り切れない。
お互いが生きるのは他でもない現在だけれど、二人が見るのは
遠い過去と遥かな未来だけ。
それでも、ミラノへの切符は手配され、最後の朝が来るのですね。

よこやまさんの乗ったインターシティは、イタリアお得意のショーペロ(スト)やら
何やらで
数十分の遅れを出しながら、フィレンツェを離れました。
イタリアの鉄道は、番線があほみたいに
分かりにくかったり、突然発着ホームが
変わったりと、だいぶ分かりにくい仕様です。
そのかわり、発着時間の近接する特急は多いです。
5分差でローマに着くユーロシティとユーロスターとか、設定する意味分からない。

あおいの旅立っていったノヴェッラ駅で、順正はもう一度、あおいを思い返します。
八年前に別れ、それでもクーポラでの約束を果たしにきた彼女。
その真意を量りかねながらも、順正は彼女がそれを覚えていたことに、ささやかな
安堵を見出します。
そして、もう一度彼女の現在に向き合う決意をする。
その決意で改札をくぐった順正は、
15分の「未来」を手に入れました。
あおいの乗ったフィレンツェ発ミラノ着のインターシティより、15分だけ早くミラノに
到着するユーロスター。
彼はその切符を手にして、15分の未来を見出すために中央駅を発つ。

フィレンツェは生きた町で、あおいと順正を生かす町でもある。
かつてそこに縛り付けられていた彼の中で、あるいはあおいの中でも、
ようやく現在が動き出す。
順正はユーロスターのタラップに足を掛ける。
あおいの現在に邂逅するために。
15分が約束されるというならば、
そこで彼女をもう一度待てるというならば、
次の約束を待てるというならば、
やっぱりそれは間違いのない現在と、ほんの少し先の未来だ。
20070429043651.jpg 20070429043937.jpg

よこやまさんがローマに着くのと同じ頃には、
あおいと順正もミラノのホームで出会うのでしょう。


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日記は雑記。  2007.03.24
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プロフィール

よこやまさん。

Author:よこやまさん。
性別:女のひと
年齢:19歳13ヶ月に突入。
趣味:女子高生の制服を追求。
所属:日文専攻、合唱団ほか。
備考:香川を愛してやまない
大学生。でも今は京都暮らし。

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